2018年9月19日水曜日

『異境備忘録』の研究(11) -「運命」の正体-

『異境備忘録』の研究(11) -「運命」の正体- 

「小童君が神界にて司命の簿籙(ぼろく)を毎年十月九日より改定し給ふ時は、御頭に金色なる簫(笙)に似たる物を二つ合せたるが如き冠を召し、その中より孔雀の尾、三尾を出し給へり。左の御手に、長さ三尺ばかりの丸木に白玉三十二貫きたる緒の総(ふさ)の付きたるを持ち給ひて、霊鏡台に向ひて座し給へり。」『異境備忘録』

 地上人類はもとよりのことですが、顕界及び幽界の一切の生類、およそ宇内に生存する限りの万霊万魂の生命の根元を掌り給うのは、造化三神(天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神)の御手に代わり給いて神人万霊万魂を生み給いし三天太上大道君伊邪那岐大神で、それは三貴子をさえ生み給いしこの父大神が、その御自ら生み給いし万霊万魂の上に御心をかけさせ給う御神愛として当然の御事であると拝察されます。 #0030【天地万物造化のはじまり】>> #0062【三貴子の誕生】>>
 その伊邪那岐大神の代命として、顕属・幽属を問わず万霊万魂の司命の簿録を改定し、それぞれの将来の命運を決定し給うのは神集岳及び万霊神岳の主宰神・青真小童君少名彦那神で、それは現界の十月九日から十一月八日に当たることが水位先生によって伝えられています。 #0322【『異境備忘録』の研究(7) -宇内の大評定-】>> #0323【『異境備忘録』の研究(8) -青真小童君-】>>
 その万霊万魂の命運に関する決定は、神集岳紫籍府の司命簿録に記録され、その簿録に記すところによって各司命神の所管に移されて実行されるのですが、これが俗に「運命」と称されるものの正体であり、十一月九日が運命更新の始期で、大司命節中の決定によって万霊万魂はことごとく新たなる運命の第一歩を踏み出すこととなります。
(その対象となる宇内に生存する限りの万霊万魂とは、人類を始め帰幽霊やその他動植物の諸霊、或いは神祇真人を始め山人や愚賓、邪神や妖魔に至るまで、顕属・幽属を問わず一切の生類ですので、少名彦那神及び神集岳紫籍府の宇内における大いなる権威のほどを窺い知ることが出来ます。 #0235【『幽界物語』の研究(5) -幽界の位階-】>> #0273【『幽界物語』の研究(43) -幽界の禍物-】>> #0319【『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-】>> )

 人間界の占い等が当たらないのはこの幽事を弁えていないからですが、運命というものが顕界の人間のみに属性として存すると考えるのがそもそもの誤りで、運命の奇は顕幽を通じて自己一身のみに止まらず、子々孫々にも遺伝し、同時に幽界に存する累代の祖霊の命運にも影響を及ぼし、水位先生所伝の秘詞の一節にも、大功によって「七祖父母の冥罪を解くを得、累業の先代々の結びを解く」とあり、その霊的事実が明かされています。
 つまり、先祖以来の運命の遺伝も受ければ、また自らの運命をも子孫に遺伝し、それと同時に自らが作出する善運により、七祖に遡ってその冥罪を解くことも可能ですので、その罪科の解除による功徳は再び遺伝の法則によって自らがこれを受けるのですから、真に運命を吉化することは自己一身に止まらないのです。 #0040【魂と心の関係(2)】>>

 大司命節においては、神集岳紫籍府の司命神より提出される記録があり、少名彦那神はその奏告の簿録を照鑑されつつ最終決定を下されるのですが、この簿録には前年の大司命節における決定以後の一年間に亘る各人各霊の一切の言行の是非善悪、美醜動息、罪障過咎を巨細(こさい)漏れることなく記されており、その一年間の行蔵功過とその関連する所を勘考された上、前年の決定に改定を下し給うので、顕属である現界人においては基本的運命に変更を加えられ、或いは生録より死録に転じ給うこともあり、或いは死籍より転じて寿算を加え給うこともあるでしょう。 #0263【『幽界物語』の研究(33) -寿命について-】>>
 『太上感応篇(神仙感応経)』に、「天地に司過の神有り。人の犯す所の軽重によりて、以て人の算を奪ふ。算減ずれば則ち貧耗にして、多く憂患に逢い、人皆これを悪(にく)み、刑禍これに随い、吉慶これを避け、悪星これに災いし、算尽くれば則ち死す。又、三台北斗の神君有り。人の頭上に在りて、人の罪悪を録し、その紀算を奪う」とあるのも司命の秘機が漏れたものでしょうが、奉道の士が修道上の成果を鑑みて仙籍への考定を賜るのもこの大司命節における幽事の重大な御儀となっていますので、特にこの期間中は言行を慎み、「過ち犯すことの有るをば見直し聞き直し給え」と祈念申し上げ、修祓を怠ることなく心身を祓い清め、さらに積徳にも努めるべきでしょう。 #0199【清明伝(2) -心の祓い清め-】>> #0230【尸解の玄理(9) -求道の真義-】>> #0256【『幽界物語』の研究(26) -積徳について-】>> #0269【『幽界物語』の研究(39) -神罰-】>> #0282【『幽界物語』の研究(52) -諸々の霊的事実-】>>
(『仙境異聞』及び『幽界物語』にも、毎年十月に諸々の神々や仙人等が出雲の大仙境に集会されることが記されていますが、高山寅吉が「氏神は氏子などの当年中の善悪を申し、来年中のことを定め、家内に祭る神たちもそのことで集まり給う」と述べているように、この幽事も大司命節と深く関係を有するものと思われます。 #0252【『幽界物語』の研究(22) -出雲の大神-】>> )

「或る年、川丹先生に伴はれて土佐国の○○○山と云ふに至りけるに、白髪白髭の老翁大なる帳面を携へて笹の上に坐(ま)したるに、川丹先生九拝し終り、詞(ことば)も出さず遥か傍に坐し居たるに、大蛇に乗りたる神、御年頃二十五、六歳ばかりなるが東方より来り給ひて、「大山祇神の使者なり」と大音に述べ給ふがいなや、乗り給ひし大蛇は消えたり。
 又、東方より小さき蛇に乗り色黒き神来り給ひて、「建御名方神の御使なり」と申し給ふ。その御声と共に小蛇は消滅したり。又、東方より白狐に乗りたる神の年頃八十歳ばかりの老翁来りて、「宇賀神の使者なり」と申せば狐の形は忽(たちま)ち消えたり。又、東の方より白兎に乗りたる神来り給ひて、「氷川の神三柱の御使者なり」と宣へば白兎は忽ち消え失せたり。又、西方より鳩に乗りたる神来り給ひて、「八幡二神の使者なり」と申せば鳩は消えたり。乾(いぬい)の方より五色の小蛇に乗りたる神来り給ひて、「大国主神の使者なり」と申せば小蛇は消えたり。又、北の方より猿に乗りたる神来り給ひて、「日枝三神の御使なり」と述べ給ふがいなや、猿は消え失せたり。この外に物に乗りたる神等(かみたち)数多(あまた)来り給へども、乗物及び神名も忘れたり。 #0267【『幽界物語』の研究(37) -現界の生類-】>>
 諸々の神等、大帳面を携へ給ふ老翁の神に拝礼をなして、各々又小さき帳面を出して翁神に捧げ給へば、大帳と引き比べて小首を傾け或は頷き、大帳に何か書き入れ給ふ状(さま)の見えけるが、翁神暫時(ざんじ)にして、「諸神の御使者大儀々々」と大音に演(の)べ給ひ、且つ「川丹大霊普全寿真人、冥鑑の代理御大儀」と申し給へば、翁神忽ち消えていなや音楽の音しけり。
 その時、諸神は同音に「エイ」と云ふ声を発すれば、乗り給ひし物皆現れてそれに乗り、一礼をして立ち還り給ふ。これには大切なる訳ある故に洩らしつ。然(しか)るにこの時は太陰暦十二月晦日なり。」『異境備忘録』

 神集岳紫籍府の代理として差し遣わされた川丹先生(玄丹大霊寿真人)が九拝の礼を執り、言葉も出し得ずに遥か下座で恐れ慎みながら命を待つ場景からも、この老翁が高位の尊神であることが窺われますが、この翁神こそは三天太上大道君伊邪那岐大神に坐し、この奏告の儀は各神所治の現界人及び帰幽霊の司命に関するものの内で特に罪過に関わるもので、少名彦那神の決定に微修正を加え給うものであり、川丹先生は神集岳の刑法所である退妖館(たいようかん)の代理としてこの奏告の御儀に立会いされるため、水位先生を伴われて赴かれたのでした。 #0320【『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-】>>

「神界にて死期を尋ぬるは大なる忌事(いみごと)にて、それを強(しい)て尋ねる時は、「何月何日に死す」と云ふて年数を云はず、又無理に年数を尋ねる時は、「今現世に居る何の某老人の死する年月日と同じ。その人死すれば、その人の死したる年に至り、その月日に死す」と云ひて、強(あなが)ちには死期を云はず。これは極めて神界の秘密なり。余(よ)、この事を川丹(せんたん)先生に尋ねたる時、小童君の御怒りを互に受けたる事あり。これは深き幽理のある事と思ふ由(よし)あり。」『異境備忘録』

 「死」は大司命節において、その人が生録より死録に転じることによって行われますので、神仙界においても極めて重秘のことで、ましてや人間界に伝えることは断じて許されない秘事であるものと思われます。
 さて、『異境備忘録』やその他の手記にもこの大司命節については水位先生が自ら抹消されている箇所が多く、或いは途中で筆を断たれている所もあり、この神秘の実相を人間界に招来することについては隠微な幽理が存するものと思われますが、このような形で公開したのは恐らく初めてのことで、次回の大司命節においてはさぞ物議を醸すであろうと恐懼(きょうく)する次第であります。

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