2018年9月25日火曜日

『異境備忘録』の研究(6) -神集岳の形状-

『異境備忘録』の研究(6) -神集岳の形状- ●
00321 2014.10.27

「明治八年二月二日、清浄利仙君の使者・玄丹先生に伴はれて神集岳(しんしゅうがく)に至る。大永宮(だいえいきゅう)並びに理上宮(又云、小璃宮(しょうりきゅう))に至り、仙令方に拝謁致し、帰る道にて小童君を拝す。これは空行の時なり。」『幽界記』

 宮地水位先生が宇内の第一の大都・神集岳に入られた記録で最も古いものは『幽界記』に記されたこの条ですが、この時は「清浄利仙君の使者・玄丹先生」とあるように、清浄利仙君の御意図によって玄丹先生(川丹先生)の来迎を得られての神集岳入りでした。 #0319【『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-】>> #0320【『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-】>>

「諸所にある神仙界の大都と思ふ所々はその姿を多く写したれども、秘事・秘言などは筆記をば許されぬ故に委(くわ)しき記なし。天狗界は下等の界なる故に筆記し来りて、秘事も折々洩らしたり。」『異境備忘録』

 「筆記」という言葉からも分かるように、水位先生の幽境入りの多くは脱魂法によるものではなく肉身のまま行われたのでした。さて、それでは『異境備忘録』の記述によって神集岳の形状を拝することに致しましょう。

「神集岳の形状を拝せんとするには、まず大空に登り西北の方に降る。凡そ二時間ばかりにて着す。神集岳の乾(いぬい、北西)の方の海岸に楼門あり。見麗門(けんれいもん)と云ふ。又、五化門(ごかもん)と云ふ。この門を入りて、道幅八間(約14.4m)、左右に小松原あり。道程九里(約36km)にして門あり。旧名、宝龍門と云ふ。今、六元門と云ふ。門内に至れば警官数多(あまた)出張して判鑑符(はんがんふ)を検査す。
 警官の許可を得てこの門を経過して、又左右小松原なる道を行く事三里の内、貪欲心ある者を試みんが為に古器珍物等捨て置きたり。もしこれを拾て行く時は先に小さき門あり。これを思昔門(しせきもん)と云ふ。その門の内に茅葺の館あり。神火殿(しんかでん)と云ふ。その殿の左右に幟(のぼり)二流建てたり。
 この館にも数多の警官ありて、もし拾ひし品物あれば、如何(いか)なる物を盗取したるやと、先に拾ひし品と同じき物を出して詰問せらる。遂に白状すればそれより六人の護送官相添ひて、北に向ひて松原の東に道あり。この道を歩行する事九里にして、その内三里ばかりと覚ゆる所より、東に巨巖(巨岩)を堆(うずたか)く積みて高山の如くなるを眺望して行けば、遂に退妖館(たいようかん)に至る。一に呼吸館(こきゅうかん)と云ふ。その館に入りて、六人の真人館人に罪科を奏告す。それより厳しく叱咤を受け、罪の軽重によりて処分せらる。軽きは警吏(けいり)相伴ひて神集岳入口の門より東方にある通路に出て現界に帰らしむ。退妖館の後面に館左右にあり。官人の出張猶予所なり。
 正直にして欲心なく捨て置きし珍器を拾はざる者は神火殿前を経て行く。これより二路あり。東方に通じたる道行く事四十里にして大国主神の坐(ま)す宮殿に至り、西方に通じたる道を歩行する事十里にして玉壁山(ぎょくへきざん)に至る。山腹に通路あり、二十里の間を歩む。僅かに足を容(い)るゝばかりの細道なり。危畏云はん方なし。
 漸くこの山腹を過れば改艦台(かいかんだい)に至る。宮殿ありて真人(しんじん)数多あり。行人の艦札を検査す。この所の許可を得て青城山(せいじょうざん)に登る。頂上にて西方を遥望すれば、初めて天元山(てんげんざん)、勇山(ゆうざん)、見越山(けんえつざん)を見る。その所に池あり。知穢(ちわい)の池と云ふ。上に礱臼(すりうす)に似たる岩ありて、清水湧出す。柄杓(ひしゃく)を以て池の水を汲み、岩上に湧き出る水に注げば、火炎上る者は往き、上らざる者は後へ帰るなり。
 これより又二道あり。右へ降る坂道は厳しき故に左道に降る事三十丁(約3.3km)にして東に廻れば、径(わた)り二尋(ふたひろ、約3.7m)なる神字を彫せる石を八重に積み、横に十七数を並列せり。ここを斜めに降り五竜山(ごりゅうざん)東麓を越えて歩行すれば、広さ四十二間ばかりなる川水あり、橋を架す。隔化橋(かくかきょう)と云ふ。北方を眺望すれば磧(かわら、河原)ありて、遥かに宮殿二宇を見る。諸芸の勝負を決する所なりと聞く。青城山の頂より隔化橋まで、道程凡そ二十八里。この橋より南に向へば宮殿あり。退妖上官宮(たいようじょうかんぐう)と云ふ。
 この所を過る事九里ばかりにして、南、東、西、巽(たつみ、東南)方に通ずる四道あり。南道は大永宮(だいえいきゅう)東門に出るの道、巽道は神商館(しんしょうかん)四殿に通じ、且つ柳原神宴台に達す。東道は大国主神の九羅殿(くらでん)に達す。ここを西に向ひ歩む事暫時(ざんじ)にして南に宮殿一宇を見る。西方に宮殿八宇を見る。これより東に向ひて大永宮の朝神門に至る。
 方四十里の高壁、囲繞(いじょう)す。四方に大門あり。高壁の外面に大道を隔て西南の二方に溝塹(こうざん、堀)あり。垣内、大永宮を四方より囲みたる数十の荘厳なる宮殿あり。南門を采女門(うねめもん)と云ふ。南門外より東の大道を眺むれば高壁の中に宮殿のあるを見る。これを神幣館(しんへいかん)と云ふ。神界の兵器を蔵(おさ)むるの所。
 南門の正面の二川に橋を架せり。この橋を渡りて東西を見れば女神館東方に一宮、西に四宮を見る。こゝを過ぎて通道二分す。南道は簿式館(ぼしきかん)を経て山門穴に通ず。この界へ入るの裏門なり。東方を見れば遊神玉殿(ゆうしんぎょくでん)あり。この館は海岸絶景に臨む。海面に四山あり。風光の明媚、現界の名所の及ぶ所にあらず。
 見越山の西南に当たりて環玉山(かんぎょくざん)あり。全山、青色なる水晶なり。南方に当たりて試霊山(しれいざん)を見る。この山に穴あり。頂上は空碧にかゝる家に貫通す。又、東北より入るの通路あり。右、神集岳神界の大略なり。」『異境備忘録』

 この条だけでも宇内根本幽府である神集岳の実景が眼前に浮かぶほどですが、明治十一年の春に謹写された水位先生御染筆の神集岳真形図によって、さらに『異境備忘録』では漏らされた神集岳の実相が見えます。
 この神集岳真形図は二種あり、正図は東西に長く伸びる島形で、神集岳神界を上空から俯瞰されたものですが、それとは別の副図には地形や楼閣の姿や名称の詳細が朱字で記されています。

 まず神集岳の入口の海岸に雲人道という通路の起点があり、これが第一の大門で、神集岳のほぼ中央に位置する大永宮へ至るための通行判鑑符を受ける所です。この通行判鑑符は神界文字で記された霊符で七種七枚あり、大永宮に至るまでの間、実に七ヶ所査閲所(改艦台)において、それぞれ異なる判鑑符を提示して査証を受けなければならず、その厳重なることは想像以上です。
 その先は暫く山中を抜けるトンネルになっており、そこを出ると第二の大門がありますが、この間の路傍に通行する者の貪欲心を試すために古器珍物の類が夥しく放置されており、上記中に「この館にも数多の警官ありて、もし拾ひし品物あれば、如何なる物を盗取したるやと、先に拾ひし品と同じき物を出して詰問せらる」とあるのはこのことで、先生も「道路の物、一切これを取る事なかれ。取る時は大なる罪咎あり」と忠告されています。
 また、知穢の池の水を汲んで岩上に湧き出る水に注ぎ、火炎が上らない者は心身に穢れがあるため、そこから引き返さなければならない掟があるように、神集岳の関門通過はなかなか容易ではないことが分かります。

 それより白雲道、通天道を経て水火認調之嶺(初見岳)を越え、ここに塩精蜜調(仙人などの食物)を受ける宮殿があります。そこを下ると一面の大砂漠で、ここを通過して近英道を過ぎ、右英道と左英道の分岐点に当たる山麓に、水位先生が在世中に師仙と仰がれた玄丹大霊寿真人(川丹先生)が常任される宮殿があります。
 この界の宮殿の様式は概ね日本風で、神社の本殿のように屋根には千木があり、床を高くして階段によって昇降するようになっており、公庁や高貴な神仙達の宮殿や、大小霊寿真達やこれに近い仙階の真人達の住殿もこの様式ですが、無位の町家は千木が無く高床式ではありませんので、すぐに判別がつくようになっています。 #0318【『異境備忘録』の研究(3) -父子二代の神通-】>>
 その彩色については『異境備忘録』中に「仙界の宮殿は、屋根及び柱は黒塗にて座敷は多く赤色なり」とありますが、清浄利仙君が主宰される赤山仙境の家造の彩色も黒と赤の二色が用いられ、屋根には千木に似た物があり、人間界の神社の千木はこれに倣った物であることが『幽界物語』に記されています。 #0234【『幽界物語』の研究(4) -清浄利仙君の館-】>>

 大永宮は神集岳では「真区(まほら)」と称され、高貴な神々が集接される所で、方義山という一大山系中に所在しており、この図ではただ標注的に描かれていますが、実際には連峰あり渓谷ある中に数百の宮殿が連立しており、その大永宮を囲繞する高壁は単なる城壁のような物ではなく連続した回廊で、四方四十里(約157km)というのですから、ほとんど人間の想像を絶する荘厳さです。
(ちなみに、環玉山から東南部の山嶺に図示されてある巨木は、数百尺から二、三千尺(一尺は約30cm)以上の大樹であると伝えられています。)
 この大永宮が所在する方義山より望んで東方には女仙の宮殿が散在する区域で、ここでは大永宮に近い地区ほど高位の女仙の宮と拝せられます。その女仙宮の地区に連なる海岸は大きな湾となっており、その海岸より五つの島を臨むことができる風光明媚な場所に神集岳における水位先生の御常殿が存するのです。


 さて、神集岳のその他の実消息については、追々に出来得る限り公開致したいと思います。

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