2018年9月29日土曜日

『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山-

『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山- 

宮地水位先生が神仙界やその他の諸幽界に出入りされたのは十歳の頃からで、厳父・常磐(ときわ)先生の御使として脱魂法により手箱仙境に来往される内に、大山祇神(おおやまづみのかみ)の御寵愛を受けられ、その御取り持ちによって少名彦那神に謁見されたことが端緒となっており、そのあたりの事情について『異境備忘録』より抄出したいと思います。 #0118【大国主神の幸魂奇魂】>> #0258【『幽界物語』の研究(28) -参澤先生の霊的体験-】>>

「我が父・常磐大人(うし)、三十六歳までは武術を好みて、剣術・砲術・弓術には別(わ)けてその道に達し、何れの所にても先生と仰ぎ敬はれしに、父が砲術の師たりし田所氏、或る日父を招きて云ひけらく、「足下(そっか)、神主の家に生まれながら神明に仕ふる勤めを捨て、年来武術を好みその奥義を得んとして、砲術はその極に至ると雖(いえど)も、我が職務に暗きは実に生涯の恥辱なり。我、職務を怠りては神明に対し奉り第一の不敬なり。足下、武術に心を入れて粉骨するが如く、神明に奉仕すべし」と示諭(しゆ)せられけるにぞ。
 これに感服して三十七歳の正月元旦より武術を止め、毎夜子(ね)の刻(午前零時)より起きて寒暖霜雪の間も休息する事なく、地上に立ち天を拝し、次に神前に向ひ祈白(きはく)する事巳(み)の刻(午前十時)にして竟(おわ)り、さて朝膳を食す。夕は日暮より五つ時(午後八時)までに及ぶ。
 我、父の行ひの有状(ありさま)を見るに、雪の夜等は庭前の石上に座して、祭服に降りかゝる雪は氷となり、これを握れば服と共に凍りたり。されども撓(たゆ)まず手を組み空に向ひて慇懃(いんぎん)に祈白する事二時(ふたとき、四時間)ばかりにして家に入り、神前に向ひて又礼拝する事十年を積み、漸(ようや)く大山祇命(おおやまづみのみこと)に拝謁するを得て、益々魂を凝らし、終(つい)に海神(わたつみのかみ)及び諸神に通ずる事をも得、又天狗界の者をも使ふ事を得て行くほどに、畏(かしこ)くも大山祇命の御依頼によりて、土佐国・吾河郡安居村の高山・手箱山と云ふを開山し大山祇命を鎮祭し奉り、衆人を集へて大鎖三十六尋をこの山に掛けたり。
 その時よりして父の神明に通ぜし噂の盛になりて、奸吏(かんり)十八人その事を種々に申し立て詐上(さじょう)し、遂に神主職も放され、遠方往来さへ止められければ、父の代りに堅磐(かきわ)十二歳にて神主職に召し出されたり。されども屈せずして神拝の勤め前に倍し怠らざりければ、父を詐上し且つ吟味せし者は皆年々に死に往きて一人も残る者なきに至りしが、遂に父の正義分明なるによりて又召し出し給ひ、父子勤めを許されたり。 #0316【『異境備忘録』の研究(1) -概略-】>>
 この時より手箱山へは父の我が魂を神法を以て脱し、使に遣(やり)し事度々にして、遂に大山祇命の御執り持ちによりて少名彦那神に見(まみ)え奉る事を得て、遂に伴ひ給ひけるぞ諸々の幽界に入出する始めにぞありける。これ皆父の恩頼(みたまのふゆ)によるなり。」『異境備忘録』

 水位先生の手記には「父の恩頼によるなり」という記述が繰り返し見え、水位先生の父・常磐先生に対する深い想いが察せられますが、その艱難辛苦たる修行もさることながら、「海神及び諸神に通ずる事をも得、又天狗界の者をも使ふ事を得て」「大山祇命の御依頼によりて」「父の我が魂を神法を以て脱し」というあたりに常磐先生の卓越した道力が窺われます。
 水位先生によれば、常磐先生が当時は獣道しかない手箱山登拝を決意された時、見ず知らずの子供が訪ねてきて、山上へ掛ける鎖を鍛冶屋へ注文して来たとのことで、その子供も登拝に同行することになり、それから数日を経て一行は山上付近にたどり着きました。
 しかしながら、今でこそ山上も開けて登拝も容易になっていますが当時は非常に険峻で、特にドーム状の最頂上に至る岩壁は足場もない有様で、門人達や多数の信徒に引き上げさせた三十六尋の鉄鎖も、さてどこにどうして掛けるべきかと常磐先生を始め皆、大絶壁を仰いでハタと当惑するのみで全く途方に暮れてしまったのでした。
 その時、突如として例の子供が五、六十貫(約200kg)もあろうかという鎖の一端を持ち、電光石火の勢いで正面から岩盤を駆け登ってそれを掛け終え、しかも鎖の寸法もピタリと合っていたため、一同の者は唖然とし、この時ばかりは流石に常磐先生も仰天されたようですが、この奇跡を目の当たりにした衆人も愈々敬神の念を深めたことが『手箱山鎮祀記』に記されています。
(この男子は山の麓の村の鍛冶屋の子供で、その後は特に奇なることも妙なることもなく、一時的な神憑かりであったと常磐先生が述懐されています。)
 その後、常磐先生一行は鎖を頼りに山頂に昇り、鉄の鉾を立てられて仮の神座とされたのが万延元(1860)年六月十五日で、三年後の文久同月同日にはこの鉾を抜いて大山祇神社を鎮祀され、さらに頂上に点在する大盤岩を神座とする十二社を鎮祀されたのが手箱山開山の来歴です。


 さて、今も手箱山(筒上山)の山頂にはその鉄鎖が残っており、登拝する際には鎖を三度岩盤に打ち付け、水位先生によってもたらされた神仙界所伝の入山霊唱を奏上することが神仙道の慣わしとなっていますが、その度に上記の奇談を思い出すと共に、山頂にて大山祇神及び人間界に最も近い神仙界直系の幽府である手箱仙境を拝すると言葉にならない感動を覚え、宮地神仙道の鼻祖・常磐先生の偉大なる御神業に頓首再拝申し上げる次第であります。 #0079【人類物質世界開闢のため】>>

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