2018年9月20日木曜日

『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-

「明治十年一月二十九日黎明、小童君に伴はれて神集岳大永宮に至る。午十二時頃、要用万事済みて帰る時、川丹先生の室に入らせ給ふ。この時、諸々の真形図(しんぎょうず)を拝見す。その図各々左の如し。
 風元山真形図。游岳真形図。天関界図。冠長山真形図。河岳八元図。元都玉京山紫蘭真形図。浮根人長山真形図。玉宝五元真形図。混沌七化真形図。集霊山真形図。八会六岳真形図。細星真形図。玉女真鏡図。陽満星真形図。玉蘭橋真形図。三界別離真形図。五岳真形図。八史真形図。東井図。六甲通霊図。九宮紫房図。太清図。混成図。保録図。霊化図。天九図。九変図。常存図。九霊道仙図。導引図。洞中図。皇宝図。太一図。人鳥山真形図。明鏡図。八天柱真霊図。霊飛流門間真形図。上下九神域真形図。神洲真形図。西王母真図。太上観下霊宝五神山真形図。七宝山図。天皇三霊宮真形図。万笈神秘真形図。霊妙神秘柱岳真形図。鐘山真形図。崑崙山真形図。
 右の真図、皆余(よ)が手に入れて居るやらんも許容なければ語る事不成なり。」『幽界記』

 水位先生が師仙と仰がれた川丹先生つまり玄丹大霊寿真人の御常殿は、神集岳の公路である左英道と右英道の分岐点に当たる山紫水明な場所にありますが、上記の「川丹先生の室」は「要用万事済みて帰る時」とあるように、御常居の玉殿ではなく大永宮の庁域内に設けられてある川丹先生の公館のことを指しています。そしてこの時は、小童君つまり少名彦那神に伴われて大永宮に赴かれての帰途のことでした。 #0320【『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-】>> #0321【『異境備忘録』の研究(6) -神集岳の形状-】>>
 人間社会でも、ここまで来たついでにちょっと某氏のところへ寄っていこうかというようなことは有り勝ちなことですが、「川丹先生の室に入らせ給ふ」という敬語を用いて記されているのは、それが少名彦那神の御発意によるものであり、共に川丹先生の弁公室に入られたことを意味しています。青真小童君少名彦那神といえば宇宙的な大神仙で、神集岳及び万霊神岳の主宰神に坐しますが、こうした大神が水位先生を伴われて気軽に川丹先生の弁公室へ立ち寄られるというのですから、その御親愛のほどを窺い知ることが出来ます。 #0322【『異境備忘録』の研究(7) -宇内の大評定-】>> #0323【『異境備忘録』の研究(8) -青真小童君-】>>
 この時水位先生が拝見した諸々の真形図は、「許容なければ語る事不成なり」とあるように重秘の霊図ばかりで、その豊富さから推しても優に大霊寿真の上位である川丹先生の御位地を窺うに足るものがあります。五岳真形図序文に、「霊真の位階に至った信(しるし)として玄台より五岳真形図を出してこれを授く」ということが記されていますが、神仙界では仙階級位の昇任がある毎に位階相応の真形図や霊符を授けられるのが慣例のようです。

 思うに神仙界の真形図や霊符は、授けられた真形図相当の神境への出入を許され、またその符図の霊験相応の霊的能力を与えられるものと考えられます。得道した真人はまず太玄生符を授かりますが、進位して判令八等という位階になると、判令八等符という霊符が授けられることが水位先生によって伝えられています。 #0324【『異境備忘録』の研究(9) -長生不死の道-】>>
 それには二符あり、一符は辟魔(へきま)符で、もう一符は風波を止める符ですので、判令八等という位地になると風波を静めるほどの実力を与えられるということを意味しています。これは、その仙階の級位相当の霊符を授けられて、その霊符の霊威によって風波を止める神法道術が行われるものと解されますが、かくして次第に上位に進級するに従い、下級の符術の霊験は既にその神胎に添うところの一つの霊徳と化して、ほとんど符図の施行等を要せずして自在に駆使されるに至るものと拝察されます。 #0268【『幽界物語』の研究(38) -自然現象の幽理-】>>
 宇宙間の森羅万象にはことごとく生々化々の相(すがた)が見えますが、神法道術はその変化の枢機を扱うものであり、宇宙変々化作(けさ)を掌る神仙達が、変化の要法である神法道術を尊重するのは正に当然のことで、その役職に満たない未熟な者が実行すれば異変を生じることも十分にあり得ますので、人間道士に対してそれ相応以上の神法道術が授けられないことも頷けます。

 宮地厳夫先生は明治十一年七月七日、水位先生から神集岳真形図を授けられて手箱山に登拝されましたが、これが実に厳夫先生の神仙界出入の第一歩で、まず真形図の図気の感格修法によって、神集岳の気線に直結する手箱神山の神境に入るべく宮地常磐先生より指示されたのでした。 #0317【『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山-】>> #0319【『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-】>>
 真形図や霊符の霊験というものは、符文相応の気線なり真形図相当の霊界が現存するからこそ、その気線なり神仙界に感通しますので、あたかも写真を見ながらその現存の地を探し当てるようなものであり、それだけに符文なり真形図の正確さということが肝心です。つまり改作を加えたり脱漏があると正しい現物に符合せず、符節を合することが不可能なために正しい感応を得ることが出来ませんので、神仙界で真形図や霊符などを特に秘密にされるのはそれだけの理由あってのことです。
 これは人間界においても、「己」と「巳」と「已」では一見してその差は僅かなものですが、意味が全く異なることから考えても納得出来るはずで、霊統上の神祇師仙とのつながりを無視し、自らの欲望を満たすために偽図、偽符、偽秘詞などの偽伝を売買する輩が、神幽の道を害する者として冥罰の対象となるのも当然のことでしょう。 #0244【『幽界物語』の研究(14) -神法道術-】>>
 卑近な例えかもしれませんが、現存の人物の写真を入手した者は必ずその写真を頼りにその人物を探し当てられるようなもので、正確な神仙界の真形図を得てこれを記憶に留め、観想を怠らなければ、必ず現存する真形図相当の神仙界に出入するに至りますので、霊真の位階を得た真人達に神集岳の「玄台」と呼ばれる幽宮より五岳真形図を出してその信としてこれを授けるのは、要言すれば五岳にも出入する徳力を与えられたことを意味します。

「明治十年三月五日夜、川丹先生に伴はれて大永宮に入る。この時、堅磐(かきわ)も玄台開監令に進位せり(この玄台は天関に非ず)。常に神界にて文等奉るには神界にて給はりし位官を書すなり。」『幽界記』

 水位先生は二十四歳の砌(みぎり)、その「玄台」の責任ある官職に任ぜられ、三天太上大道君伊邪那岐大神が太古に虚空より俯瞰して親写された五岳真形図の原巻を始め、玄台に秘蔵される諸々の尊貴なる霊図・秘書・仙籍の類を閲覧することを許されるに至ったのですが、その時の神仙界への上奏文には「神集岳二十八令之内、五宝官七等兼玄台開監令、賜玉京山紫蘭上殿符並奇文第四等」という位階が記されています。
 先生の『再来病中日記』明治三十四年の条に、「道書三千七十二部を読み終はりて後、今日に至りて仙書を熟考するに、三千七十二部の中に真と認むるもの十一部にて、他は皆偽仙の妄説のみ、然(しか)るところ真伝十一部の中にも妄説混合せり」と記されていますが、神仙道における先生の奇想天外ともいえる専門的な知識は、実にこうした破格の立場によって得られたのでした。

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